1.天職創り

「決めること」のススメ

誰もがそうであるとは思いますが、苦もあれば楽もある人生だと思います。
では、苦と感じたとき。楽と感じとき。何が違うのか?と今までの経験を振り返ってみると、私は1つの回答にたどり着きました。

それは
自分で「決めないとき」と「決めたとき」の違いだと思いました。

大概、自分で決めていないときは人の意見に左右されたあげく、ひどい目にあっているような気がします。

自分で決めているときは、あまり賢い選択ではないけども、なぜか良い巡りあわせがまわってくることが多いです。
また、決めて上手くいかなかったこともありますが、自分で決めた分「後悔」がないのでほとんど苦になりません。

私の例でいいますと、決めて上手くいった例でいうと、大学生の頃、武道を習い始めました。もともと運動神経は良くないので、あまり上達はしないものの、家に帰ってからも習ったことの動きを確認してみたり、練習していない時でもそのことが頭にありました。また、このときに知り合ったのが今の妻であり、素晴らしい出会いもありました。

一方、決めなかった例で言うと、小学生から高校生まで、野球チームに所属していたのですが、これは両親とも野球が好きで、自分もやらないといけないのかな。。。というような理由で始めました。そうすると小学生くらいの頃は友人もいたのですが、高校生になると全く自分からチームに溶け込もうという気もなく、上達もせず、全く楽しくありませんでした。
もちろん長く続けているので、ヒットを打った時の快感、フライをキャッチした時の快感(外野手なので)など随所に面白いと感じる部分はありましたが、練習が終わったら、野球のことなどスッパリ忘れ、TVゲームのことを考えていたような気がします。

そして更に大失敗なのが、高校生の時は好きでもないのに野球の強豪校に入ってしまったことです。。土曜日、日曜日も練習があり、それでさらに夏休みは休みは4日だけという過酷な日でした。

当然、「そもそもなぜ好きでもないのに野球部に入ったんだ?」という疑問があると思いますが、その頃は親への承認欲求もあるし、「野球をやることが普通」みたいな家庭環境のため、「好き」だと思い込んでいました。

家庭環境にもよりますが、「好き」という感覚を素直に感じることって難しいです。。。

ちょっと話がそれましたが、なぜダラダラ惰性で野球をしてしまったかというと、自分で決めていないからなのです。
この例でいうと「野球部に入る」ということを決めているのではないか?と思うかもしれませんが、それは違います。

この時の私の感覚を厳密にいうと「何もすることないから親から認めてもらえる野球でもしとけばいいか」みたいな感覚なのです。

これは自分でやりたいことを決めたのではなく、親がやらせたいことに従っているので、「親が決めた」と同じことです。

似ているパターンが、「就職」です。「就職」をするのに、「親戚、友人からニートとみられたくなくて、就職した」という場合、これも自分で決めたのではなく「親戚、友人が決めた」と同じことになります。

皆さんも、これは本当に自分で決めたのかどうか?ということを疑ってみてはいかがでしょうか?
(~しなければならない。~しないといけない。が口癖になっていると自分で決めめていない可能性大なので疑ってみてください。)

そして、「本当に自分の決めたこと」を多くすればするほど、人生が充実すると思います。

是非、振り返ってみてください。

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