1.天職創り

現在、会社勤めをしていることへのつぶやき

現在、私はプログラマーとして働いているのですが、35歳にもなって、思うようにスキルもつかず、会社での立ち位置も危ういものになってきました。(これが35歳定年説ってやつですかね?)このままではいかんとは思うので、色々と対策は講じています。しかし、、

上手く軌道に乗ったとして、これが私の求めていたものなのか?

というとなんか違う。

例えば、うまく仕事が軌道に乗った場合をイメージしてみました。

技術力がアップ!

後輩・部下もできて

仕事をとってきて、大型案件を受注し、売り上げアップ!会社に貢献そして出世街道まっしぐら!

それが会社が期待する「成功」なんだけども、そうしたとき自分はワクワクするのか?と思う。

確かに何をするにもできないことができるようになっていったり、会社から称賛されるのは快感だろう。
褒められれば当然嬉しい。

しかし

以前、同期が辞めてしまったところを見ても、その成功の途中に、会社に貢献できない人間が、追い詰められて、辞めていく様を見届けなければならない。辞める人というのも、そんなに変な人ではなく、むしろ常識的な人が多い気がする。本当にできないダメダメなやつではなく、普通の人なんだけども相対的にみて(ここ大事)、会社の風習に乗ることができず、また若干、仕事に対して前向きになれない人から辞めていく。

そんな人を脇目でみて、もしくは自分がその人たちを追い詰める立場になって、それで成功して満足か?辞めた人1人が犠牲になって、大多数の人間が助かるのかもしれないがそれでいいのか?厳密にいうと、その1人を取り巻く家族を困らせてまで得られる成功とはなにか?

「”成功しても意味がない”というのは成功してみてから言え!」という人もいるがそれでは手遅れだと思う。
それに成功した後だと、それが正しいと勘違いしてしまい、弱者のことなど考えない麻痺した状態になるのではないだろうか?

私はこれにノーを唱えていきたい。いや、ノーという行動をとっていきたいと思う。

誰かを犠牲にした成功などいらない。

そんなのは成功と言わない。

その先は進んでもゴールではない、地獄の池だ。

今は会社勤めだから、そういった会社が求めているゴールというのは認識しておくべきだろう。しかし、それは自分の考えているゴールとは絶対違う。

違うところにゴールを置いていこう。

逆を考えると、どういうゴールだったら、満足するか考えてみました。

・人を故意に傷つけない
・人が犠牲にならない
・達成したらワクワクする

「人が犠牲にならない」というのはきれいごとかもしれない。何か行動すれば誰かしら迷惑はかかる。しかし、故意に人を端っこへ追いやるということは絶対したくない。

会社勤めをしても自分を失くさないようにしていこう!

以上、つぶやきでした(オチなし)

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